いつでしたか、諫早市で行われた九州農政局主催の事業説明会的な集会がありました。
10年ぐらい前だったでしょうか、諌干事業が完了するにあたっての説明会のように記憶します。
干拓事業は戦後の食糧難に端を発し、当初は米作りが目的とされました。
ところが、その後の減反政策に転じたことなどから、事業の目的も防災から畑作農地確保に変更され、公共事業の継続が目的だったのではと批判もありました。
地元では国への不信感が強く、会場からは厳しい質問・意見が寄せられ、国の答弁者がタジタジとなっておられたのを思い出します。
有明海問題は、2000年のノリの大規模な色落ち被害に端を発し、諌干事業が有明海環境に及ぼす影響が議論となり社会問題化します。
農水省は有明海ノリ不作等対策関係調査検討委員会(いわゆる第三者委員会)を設置し、学識経験者等に意見を聞き、短期開門調査を実施することになりますが、中長期開門調査の実施は今後の検討課題となります。
その後農水省は、開門にあたっての技術的検討等を行い、効果が期待されないだけでなく管理上の問題が多いことを指摘し、中長期開門調査は取りやめを発表します。
漁業者の事業者に対する不信は募り、両者の関係は悪化の一途をたどります。
その結果、裁判へと発展していき、事業者が科学的根拠をもと漁業者の理解を得て合意形成を図るという事業本来の姿とはかけ離れ、司法で白黒をつけようということになっていきます。
そもそも、諌干事業が計画されたのが戦後で、その後、時間の経過とともに事業を取り巻く環境も変化していき、紆余曲折を繰り返し現在の計画で具体化するのが昭和60年代以降になりました。
当時、事業実施にあたっては、現在のアセス法に基づくアセスではなく、県条例に基づくアセスで検討範囲が諫早湾内に限っていました。
当時、問題化した有明海は入っていなかったように思います。
国による有明海においてもアセスが行われ、2012年にその結果が公表されました。
諌干事業は2007年に完工しますが、菅首相が福岡高裁控訴審判決に対して上告を断念することで福岡高裁控訴審判決が確定し、2010年に裁判で開門調査の実施が決定されました。
当時、民主党内でも最高裁まで議論が尽くされるべきという意見があったようですが、菅氏の判断(本人は英断?)がその後の混迷を作ったといっても過言ではありません。
2012年のアセス結果を踏まえてもよかったかと思います。
そこから、有明海問題は開門調査の是非だけが取り上げられるようになり、いくつもの裁判が提起され、司法の場で争われるようになりました。
その後のマスコミ報道で、佐賀県と長崎県、漁業者と営農者の対立の構図に作り上げられていきます。
昨日、国が潮受け堤防排水門の開門を強制しないよう求めた訴訟の上告審判決で、最高裁は国の請求を認めた福岡高裁判決を破棄し、審理を福岡高裁へ差し戻しました。
このため、開門、非開門の相反する義務を国に課した司法判断の「ねじれ」は続くことになりますが、差し戻し審では国が主張する確定判決後の事情変化などを踏まえ、開門の強制が権利の乱用に当たるかが判断される見通しです。
今回の判決で、開門の是非は判断されませんでしたが、開門命令の無効化も在り得るとの方向性も示唆され、議論の流れは非開門で進みそうな感じで、もう一度基金による現実的な和解に向けて関係者で建設的な協議が進むことが期待されます。
これまでの諌干事業の進め方、終わり方に問題があって、ここまで時間とお金をかけて非建設的なやり取りを繰り返してきました。
ですから、国は今回の判決の内容、意図をくみ取り、最後の調整に尽力を尽くしてほしいものです。
今回の問題を教訓として、“争いの海から穏やかな海”へシフトさせるためにも、有明海の目指すべき方向を関係者で共有し、それに向けて一緒に管理していく体制を国は併せて地域をリードして作ってほしいものです。